人と関わりたいのに、関わるとしんどい

誰かと話したい。でも、いざ話すとなると、なんかもう疲れる。

これ、自分だけかと思ってました。人と関わりたい気持ちはちゃんとあるんです。でも実際に関わろうとすると「しんどい」が先に来る。かといってひとりでいると、今度は寂しい。

じゃあどうすればいいんだ、と。矛盾してるようで、自分の中ではずっとこの二つが同時にありました。

この記事では、自分がこの「関わりたいけどしんどい」「ひとりは寂しいけど話すのは疲れる」という状態と、実際どう付き合ってきたか、うまくいったことといかなかったことをそのまま書いていきます。

「ひとりは寂しい、でも話すのは疲れる」の正体を自分なりに考えてみた

自分の場合、対人関係が「がっつり関わる」か「ひとり」かの二択になってました。中間がなかったんです。

誰かと会うとなると、頭の中で表情とか声のトーンとか、相手が今どう思ってるかとか、そういうのを同時に処理しようとして、それだけでもうぐったりしてました。逆にそれが嫌で誰とも会わないでいると、今度は寂しい。

結局どっちに転んでもしんどいので、正直「もう人と関わるのやめようかな」と思った時期もありました。でもそれも違うな、と。

VTuberの配信を見てブログも書いてるのに、それでも寂しかった理由

自分は今、VTuberのライブ配信を見たり、その感想をブログに書いたりしています。これ自体はけっこう好きでやってることです。同じ空間を共有してる感じがあって、誰かとも会わずに済むし、負担も少ない。

でも、それでもやっぱり寂しかったんですよね。

なんでだろうと考えて、たぶん自分がやってたのは「見る」か「書く」の一方通行だったからだと思います。配信にコメントするわけでもなく、ブログにアクセスがあっても、その人と直接やり取りするわけじゃない。

「誰かに反応された」感覚が、どこにもなかったんです。

これに気づいてから、SNSで一言だけ投げてみたことがあります。「今日の配信、ここが良かった。みんなはどこが好きだった?」みたいな、答えやすそうな一言です。

正直、こんなの意味あるのかなと最初は思ってました。でも、誰かから絵文字ひとつでも返ってくると、それだけで結構違いました。会話するほどの体力は使わないのに、「見てもらえた」という感覚はちゃんと残る。

毎回続けられてるわけじゃないです。気力がない日は何も投げません。でも、ゼロだった頃と比べたら、10のしんどさが8くらいにはなった気がします。

バンドを辞めた過去と、「克服するには戻らないといけないのか」問題

以前、バンドを組んで活動していたことがあります。でも周りとうまくコミュニケーションが取れなくて、だんだん軽く扱われるようになって、笑われるようにもなって、結局辞めました。

正直、今でもこれを思い出すとちょっと苦しいです。

辞めたあと、「これって自分が集団の中でちゃんと成功体験を積まないと、いつまでもトラウマとして残るんじゃないか」と考えたことがあります。逃げただけなんじゃないか、と。

でも、それを本気で考えれば考えるほど、「じゃあもう一度バンドに戻ればいいのか」というと、そうは思えませんでした。

想像しただけで、あのとき感じた「笑われた」感覚がぶり返してくる。同じような集団に飛び込んだら、また同じことになる気しかしなかったんです。

なので今は、集団に戻ることでこの経験を上書きするんじゃなくて、今やってるブログとか、小さいテキストのやり取りとか、そういう場所で「自分の発言が馬鹿にされない」という経験を少しずつ積むほうを選んでいます。

これで過去の出来事が消えるわけじゃないです。今でも音楽の話になると、ちょっと身構える自分がいます。でも、あのときと同じ場所に無理に戻る必要はない、とは思えるようになりました。

まとめ

人と関わりたいけどしんどい、ひとりは寂しいけど話すのは疲れる。この状態は、今もまったくなくなったわけじゃありません。

VTuberの配信とブログだけでは寂しさは埋まらなかったし、そこに小さな返信をもらう工夫を足しても、完全になくなったわけではないです。バンドを辞めた過去も、まだ完全には消化しきれていません。

ただ、一方通行だった関わり方に、ほんの少し双方向のやり取りを足しただけで、しんどさが少し減ったのは事実でした。

全部を一気に変える必要はないと思っています。もし同じようにしんどさを感じているなら、自分がやったことの中から、これならできそうというものだけ、ひとつ拾ってみてもらえたらと思います。合わなければ、やめてしまってもいいと思います。

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